幕末志士日記

神社仏閣巡り・新選組・御朱印・その他日常

【京都・宇治】興聖寺【御朱印】

今日で宇治に行った時の記事は終わりです!
最後を締めくくるのは興聖寺さん!素敵なお寺でした!!

 

興聖寺(こうしょうじ)*

まずはざっとお写真を並べますー。
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道元から安貞元年(1227年)に帰国、しばらく建仁寺に身を寄せた後、同寺を去って深草(現在の京都市伏見区深草)の安養院に閑居した。寛喜元年(1229年)頃のこととされる。安養院はかつて深草にあった藤原氏ゆかりの大寺院極楽寺の跡で、現在の京都市伏見区深草宝塔寺山町付近にあったと推定されている。天福元年(1233年)、道元は深草に興聖寺を開創する。『永平広録』によれば嘉禎2年(1236年)に開堂式が行われ、観音導利興聖宝林禅寺と号した。なお、その前年の嘉禎元年(1235年)の「宇治観音導利院僧堂建立勧進之疏」(『建撕記』所収)によると、当時の興聖寺には仏堂はあったが法堂と僧堂はまだなく、道元は僧堂建立のための勧進を呼びかけていた。建築史家の太田博太郎は、この時点(嘉禎元年)からわずか1年足らずの嘉禎2年に伽藍が完成していたとは考えられないとしている。

興聖寺は、比叡山延暦寺の弾圧を受け、寛元元年(1243年)、道元越前に下向して以降荒廃し、住持4代で廃絶した。その後慶安2年(1649年)、淀城主の永井尚政万安英種を招聘して5世住持とし、朝日茶園のあった現在地に復興したのが今ある興聖寺である。

wikiペディアより引用

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*琴坂
宇治十二景に数えられる琴坂です。

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*山門f:id:bakumatusisi:20160619120357j:plain

*本堂
伏見桃山城の遺構から建築され、血天井や鴬張りの床があります。

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*鐘楼

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*内庭

聖観音菩薩立像
約1000年前の観音菩薩像!大々的にあるよ~って案内していないそうですが、しれっと置いてあるのがすごいです…!しかし、中を拝観される方はスルーしてしまうそうです。私も一回気づかずにスルーしてご案内して頂いてしまいました…!
とてもきれいに残っていて1000年前の仏像とは思えない美しさでした。
鴬張りの廊下を抜けて右手にありますので、みなさまぜひ!

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*感想*

拝観料は確か500円でした。(忘れちゃいました)
外観を見る分には拝観料はかかりませんが、本堂の中などを拝観する際には拝観料が必要なりますので、ご注意ください。

中に入れるとは知らず、参拝した後に御朱印をもらうため総受処に行ったところ、(山門を抜けて右手にあります)拝観できると知りました。血天井が気になっていたのですが外から見ることが出来なかったので残念と内心思っていたので嬉しかったです!
御朱印を頂いている際にご住職の方からお寺の歴史のお話を聞かせて頂きました。
源氏物語の最後に出てくるお寺がこの興聖寺だそうです。
また、更には上にも書きましたが、伏見桃山城の遺構から本堂が作られているので血天井が残っているそうです。ご住職さん、素敵なお話本当にありがとうございました。

 

*御朱印*

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 下記ですごくわかりやすく興聖寺がまとめられています。

興聖寺|ピックアップ寺院|寺ナビ〈寺院検索〉|曹洞宗近畿管区教化センター

興味を持たれた方はぜひ一読してみてくださいね。

 

 

今回の記事で宇治の分は終わりになります。
明日以降の記事は6/18に出かけた藤森神社・東福寺・豊国神社・京都博物館の記事を更新していきますのでよろしくお願いいたします。
ここまで読んでいただきありがとうございました!